オランダ逍遥

いい歳してオランダへ花留学。 そんな男の日記です。

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大学のサイトの日本語訳をつくりました。

大学の日本人代表になって(といっても日本人は現在二人しかいないんですが)、大学に貢献しないといけない立場になったので、まずは力仕事でできるところから。

ソースも何もWordにおまかせなので、重くて申し訳ないんですが。ダメな点をご指摘して頂ければ幸甚です。今のところ、マックだとリンクがうまく動かない問題を確認済みです。僕自身マックユーザーのくせに。
http://hasdbjapanese.web.fc2.com/

あと、大学の本家のサイトも最近新しくなりました。
http://www.hasdenbosch.nl/index.php
英語のサイトに進んで行くと、わかる人にはわかるものが写ってます。なんだかなあ。
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2月20日

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カーニバル最終日は、パートナーのピラティス教室友達のヨゼさんに招待されて、ヨゼさんの所属するカーニバルチームのイベントに参加しました。

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「行き先は秘密」のまま、吹奏楽団のチームーの後を付いていくと・・・

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複層階の駐車場に入って、どんどん上に登っていき、(当然駐車場の中でも演奏は続きます)

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屋上でどんちゃん騒ぎが始まります。

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みんな思い切り歌って踊って弾けまくります。普段は堅物の人が多いような気がするんですが。因みに真ん中のスチュワーデスの格好で踊るおじいさんは、普段はお医者さんだそうです。



2月21日 0時00分

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(画像が止まっている場合は、画像をクリックしてみて下さい。)
カーニバルの最後のイベントは、ウテルドンクの開拓者である農夫ニリス氏の像の撤去の儀式です。ゴンドラに乗ったプリンス・アマデイロ25世がゴンドラに乗って、像を撤去します。
深夜だというのに、街の中心部はすごい人だかりです。

最後に、プリンス・アマデイロ25世がゴンドラに乗ったまま、地上10メートル位の高さから人々にお別れを告げます。

残りの写真アルバムのリンクです。
http://picasaweb.google.com/eurokato2006/CarnavalInOeteldonk2/
カーニバルが終わりました。街は急に静かになって、昨日までのお祭り騒ぎがうそのようです。



2月18日(Carnaval Sunday)

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9時11分、カーニバルの特別のミサが教会で始まります。みんなカーニバル用の衣装で着飾っています。通常のミサと違い、笑いの絶えないミサです。

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カーニバル本番は、11時11分、ウテルドンクのプリンス・アマデイロ25世がデン・ボシュの駅に到着するところから始まります。ウテルドンクの街が架空なら、当然アマデイロ25世も架空の人物です。そんな冗談のストーリーにも係らず、1883年のアマデイロ1世から代々現在まで引き継がれています。(ウテルドンクの歴史には、「途中、複数のプリンスが現れるなど混乱があったが、奇跡的に現在まで伝統が守られている。」と書かれています。)

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プリンス・アマデイロ25世と、ウテルドンカー達が街を練り歩きます。
でも実は、プリンスの到着を歓迎しているのは一部の人達で、残りはプリンスなぞそっちのけで、ひたすらバーでビールを飲んでいます。



2月19日

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13時33分、カーニバルのパレードがはじまります。

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ユーモラスな山車と、吹奏楽団のマーチングが市内を回ります。
因みに、スケジュールが全て何時11分だの、何時33分だの変な時間に始まるのは、「11人のクレージーガイズ」を意味していると教わったのですが、何のことやらわかりません。

カーニバル1日目、2日目の写真アルバムのリンクです。
http://picasaweb.google.com/eurokato2006/CarnavalInOeteldonk
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カーニバル期間中、デン・ボシュの街はOeteldonk(ウテルドンク)と呼ばれます。

Oeteldonkは、oetel(オランダ語の昔の言葉でカエル)+donk(湿地帯)を意味しています。(諸説あるようですが。)

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デン・ボッシュは歴史的に、オランダ北部のヘルダーラント州やホーラント州の侵攻に強く抵抗した要塞都市です。街の外周には壁が築かれ、その壁の外側は戦略的に湿地帯が残されました。街に向かってくる敵陣を容易に見つけるためです。

その湿地帯にたくさん住んでいるカエルが、Oeteldonkのマスコットです。今、街はカエルだらけです。

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カーニバルのメインイベントは明日。
Oeteldonkのプリンスがデン・ボッシュの街にやってきます。街はかなり活気が出てきました。
カーニバルを控えた街の様子です。
http://picasaweb.google.com/eurokato2006/TheCityOfDenBoschAheadOfCarnaval
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花卉輸送用台車についてのエッセイです。

http://katovsky2.blog84.fc2.com/blog-entry-7.html

ちょっと自主勉強も疲れてきました。
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アフガニスタンのバラ生産プロジェクトについてです。

http://katovsky2.blog84.fc2.com/blog-entry-6.html
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デン・ボッシュの名物であるカーニバルのイベントが、既に1月28日から始まっています。カーニバル期間中、デン・ボッシュの街はOteldonk(ウテルドンク)と呼ばれます。

カーニバルの歴史は、中世にまでさかのぼることができます。当時のデン・ボッシュは商業が栄え、多くのカトリック教徒が集まる街であり、四旬節(復活祭(イースター)までの40日間の断食期間)を前にした飲めや歌えや踊れやの3日間のカーニバルが、盛大に行われていました。


1629年、フレドリック・ヘンドリックの侵攻によりアムステルダムの支配下に置かれたデン・ボッシュではカーニバルが禁止されるのですが、18世紀に入り再びカトリックの勢力が強くなると、カーニバルは復活します。

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カーニバルは次第にケンカが絶えない過激なものになり、カトリック教会が干渉に入ります。1881年、教会の干渉に反対した司教が街の富裕層を集め、カーニバルの保護を求めて抗議活動を行います。翌年、その抗議活動はデン・ボッシュ市長により認められ、カーニバルが再度復活します。

その抗議活動を行った団体は「Oeteldonksche Club van 1882」と呼ばれ、現在でもカーニバルの主催団体となっています。

(参照:Oeteldonksche Club van 1882, 's-Hertogenbosch 27 augustus 1999)

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続く
2学期のテストとレポート提出が全て終わったところなので、普段なかなかできない自主勉強をしております。

日本ではあまり伝わってないかもしれませんが、昨年末、花卉取扱高世界1位、2位の2つのオランダ花卉市場の合併のニュースが伝わりました。

合併後の新市場のチーフエグゼクティブに就任する予定のTimo Huges氏へのインタビューを訳してみました。

http://katovsky2.blog84.fc2.com/blog-entry-5.html
エチオピアの、日本への花卉輸出についての記事を訳しました。

http://katovsky2.blog84.fc2.com/blog-entry-4.html
因みに、
オランダ花卉市場で取引されているバラの半分以上は、アフリカから輸出されたものです。
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